顔なじみの(=^・^=)たち

今年最後の仕事を終え、家路を急ぐ途中・・・

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いました!いました!

今日もいつもの場所に・・・。

駅から家までのの道沿いに2か所の(=^・^=)スポット。

 

とりたてて親しくしているわけではないけれど、お互いの存在を認め合っている仲。

私の足音を聞きつけて「ま、興味はないけどね・・・」とつぶやきながらも、なんとなく

姿をみせる彼ら。

 

いつぞや考え事をしながら歩いていて、彼らに気づかなかった私。

後ろにかすかな気配を感じて振り返ると・・・。

「なーに、無視してんのよう・・・」

一匹がトコトコついてきているではありませんか。

そうかそうか、ちゃんと「顔なじみ」と認めてくれてるんだね。

 

ちょっと嬉しかったなあ。

さかなクン

昨日、たまたまテレビをつけていたら「さかなクン」についての2時間番組をしてて、思わず

最後まで視ました。

 

私ははかねてより「さかなクン」が大好き。

どこが好きかって・・・?

ただただ好きなことに没頭しているピュアなエネルギーに引き込まれるのです。

世のしがらみにも、権威にも無頓着で、やりたいことを純粋に楽しんでいる。

 

だからこそ、奇跡のようなことが起こるのですね。

あのクニマスの発見は有名です。

また、高校生の時人工では難しいとされていたカブトガニの孵化に成功したり、

潜水中、絶対人に近寄らないような警戒心の強い珍しい魚が向こうから寄ってきたり。

さかなに夢中であるあまり成績は悪くて、順当にはいかなかった研究者への道も、結果的に環境が整って

いくのです。

 

好きなことをに全力でやっている人には、不思議とその人を押し上げる、宇宙の力のようなものが

働くのではないか・・・。

その人のところには自然に人や材料が集まり、シナリオが準備されているようです。

 

誰もがさかなクンのように「純粋な好き」に出会い、好きなことにたずさわって生きることができたなら・・。

この世界のエネルギーは変わるでしょうね。

 

きっと多くの人は望んでいると思うのです。

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はじめてのインフルエンザ対策

インフルエンザ予防接種を受けてきました。

大人になってから初めてのことです。

 

今年は娘が受験生なのですが、

「家族で予防接種を受けないと、本人だけ受けても意味がないらしいよ」と複数の人から聞かされました。

うーん、仕方がない、不本意だけど今年だけは受けておこうか・・・。

 

今まで「私は風邪をひかない、インフルエンザにもかからない」という根拠のない妙な自信のもと、

予防接種を受けたことはありませんでした。

 

そして実際、今までにインフルエンザにかかったのはおととしの一度きりです。

その時はさすがに敗北感を味わいましたが、その敗北感はすぐに”自力で直すぞ”というやる気にすり替わり、

病院にもいかず3日ほど寝て、無事回復したのでした。

なので「インフルエンザなんて怖くない!」と、ますます自信を深める結果となりました。

 

毎年のように実家の兄とかわす会話・・。

「うちの家はどうもインフルエンザに強い体質らしい。どんなに周りではやっていても僕らはかかったことがない」

「そうそう、予防接種なんて受けもしないのにね、うがいや手洗いさえまともにしてないわ」

 

この思い込み、自分のDNAに対する信頼、これこそが自分を魔法にかけているのかも。

さてさて、予防接種を受けようが受けまいが、私は今年も元気に過ごしまする。

 

DSC_0090kiku   いつのまにか自生した、庭の菊。

 

 

生き物を飼う

玄関に置いている小さな水槽。

ヒレアカ

6匹のアカヒレが泳いでいます。

水槽の前に立つと、エサをもらおうと尻尾をブンブンふりながら寄ってくるのが愛らしい。

無心にパクパクとエサを食べる様子をみるのはいいものです。

子供の頃、庭の池の鯉に、エサのお麩をあげていた時と変わらない楽しさがあります。

生き物とのふれあいは、何か癒やされますね。

 

今までに飼育した生き物・・。

ヤゴ、何匹もトンボになって飛んでいきました。

アゲハチョウやモンシロチョウの幼虫、ある日蝶になっているのを見つけたときは感動します。

カマキリの卵、おびただしい子カマキリの発生にびっくり。

コクワガタ、幼虫から飼って成虫になり、世代交代もあり数年飼いました。

メダカ、卵が次々孵化してどんどん増えましたが、最後は病気で全滅。

 

小学生の時の忘れられない出来事・・・。

担任の先生が、二個のカメの卵を学校に持ってこられました。

先生が休日に農作業をしていて見つけたのだそうです。

クラスで私ともう一人の子が貰い受け、家で飼育することに。

 

洗面器に湿った土を入れ、卵をうめて、自然に近い状態で孵化を待つのです。

楽しみにカメの誕生を待ちました。

何日も何日もたって・・・なかなか孵化する様子はありません。

中学生の兄は、「これはヘビの卵だろう」と言います。

カメじゃなくヘビだったら、孵化しても飼えないじゃないか・・・。

 

待ちきれなさと、ヘビかカメか確かめたい衝動にかられた私は、ある日とうとう

故意に卵を割ってしまったのです。

中から出てきたのは、孵化間近のカメの赤ちゃん。

ちゃんと動いていました。

取り返しのつかないことをしてしまった・・

放心したようにしばらく動くことができませんでした。

 

この世には、やってしまってからではどうしようもないことがある。

そんなことを知った、心の痛む思い出です。

 

グリーフ(Grief:悲嘆)

昨日、グリーフとそのケアについての研修に参加し、龍谷大学短期大学部 黒川雅代子先生のお話を聞く機会に

恵まれました。

 

一般にはまだまだ「グリーフ」という言葉の意味するところや、そのケアについて浸透していないように

感じますが、誰もがさけて通れない身近な問題です。

悲嘆(グリーフ)・・・喪失に対するさまざまな身体的・心理的・行動的な症状を含んだ感情的な反応。

大切な人との死別はもちろん、離婚、失恋、失業、大切な物や財産を失くすことなども含まれます。

 

カウンセリングに関わらせていただいて感じるのは、一見別の悩みを抱えているクライエントさんが、

その背後に未完了のグリーフを抱えているケースもとても多いということです。

お話をじっくり聞いているうちに、行きあたることが多々あります。

大切な家族を失った悲しみが癒えていなかったり、その死に関して心の奥底で自分を責め続けていたり。

 

どんな苦しい喪失体験であっても、悲しみなどさまざまな感情に向き合い、適切なケアがなされると、

やがて故人との永続的で新たなつながりを見出し、より力強く人生を歩めるものだと思います。

 

大切な人を失くして悲しみの中にいる人が身近にいる場合、私たちに何ができるのでしょう。

どう接していいのかわからず避けたりして、孤立することのないよう気を付けなければなりません。

 

安易な言葉がけで元気づけようとして、かえって傷つけることもよくあることです。

その時、ほんとうにその方に響く言葉をかけるのは至難の業といってもいいかもしれません。

グリーフとはきわめて個人的な体験で、その内容も回復の仕方も回復に要する時間も千差万別だからです。

 

「あなたのことを気にかけているよ」というメッセージを伝え続けること、

今のありのままの状態を尊重すること、そんな態度が支えになるのではないかと思います。

そして、その方が話されるのであれば、少しでもわかろうとしながら、ただただ聴く。

こちらが何かアドバイスをしよう、励まそうということでなく、その方自身の力を信じるのです。

 

黒川先生のお話で印象的だったこと。

「私も初めの頃は、重いお話を聞くことを負担に感じることも多かったのですが、そのお話の多くが

”故人への愛”を語っていることに気づいてから、気持ちが変わってきました」

 

さて私事ですが、先日実家の父に電話した時のことです。

父がお酒の酔いも手伝ったのか、3年前に亡くなった母への想いを素直に口にしたのです。

「この年になるとお母さんがいないのが寂しくてたまらん。お母さんはほんとうに

いいお母さんじゃったということだ・・・。」

 

相性のいい夫婦とはお世辞にも言えなかったけれど・・。

お母さん、ちゃんと聞いてくれてたかな。

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二つの日帰り旅

先週から、二つの日帰り旅をしてきました。

一つは東京の友人と伊勢神宮へ、もう一つは岡山の友人二人と京都へ・・。

 

またいつか・・ではなく、思い立ったらすぐ約束しておくものですね。

それぞれ忙しかったり事情はあっても、それに向けて予定を繰り合わせ、「この日は会う」と決める。

すると、それはそれは楽しい時間が待っています。

人生の思い出ノートにまた一つ、愛しいページが加えられたよう・・・。

 

伊勢神宮はおととしの遷宮後、初めてのお参り。

驚くほど美味しい鯛茶漬けを頂き、五十鈴川のほとりで瞑想、身体が軽くなったのを実感しました。

やはり日本随一のパワースポットです。

伊勢神宮    五十鈴川

 

そしておとといの京都。

岡山の友人と久しぶりの再会。

たちまち学生時代から変わらないムードに・・・。

見かけはそう変わらないものの(?)アラフィフの私たち、話題は自然と健康のことにも。

最近とうとう老眼が・・・とか、胃腸の調子がねえ・・・とか、

とりわけ、足腰に自信がなくなって・・・などと語り合っていた私たちの目の前に「足腰神社」

の看板を掲げた神社が現れたではありませんか。

導かれるようにお参りしました。

 

それにしてもたくさん歩いたなあ。

相国寺、京都御所から二条城あたりまで・・・。

日ごろ運動不足という友人は、万歩計の機能のついた携帯を見ては感動していました。

相国寺2        相国寺3     

同志社2

 

ほどよい疲労感につつまれ、「来年また京都で」と日程まで決めてお開きとなりました。

そう、『思い立ったらすぐ約束』です。

 

カウンセリングと心理療法

先日のこと、”カウンセリングと心理療法はどう違うのですか?”という質問を受けました。

明確な基準のない世界なので、セラピストによって答えはさまざまなのではないかと思います。

よい機会なので、私の中での考えを記してみます。

 

大きくみると心理療法の中にカウンセリングが含まれている。

順番でいうとカウンセリングの延長線上に心理療法がある。

カウンセリングが言語表現を通して、起きていることを整理、理解し、気づきや解決法を見出していくのに対して、

心理療法は、本人も意識できていない心の深み、「無意識」にまでアプローチしていきます。

カウンセリングが知的理解による解決法だとすると、心理療法は感情、感覚を積極的に取り上げ、

体感を伴った決心を促したり、癒やしに導く手法といえるかもしれません。

 

カウンセリングで、答えを導き出したはずなのに、なぜかまだ気持ちがすっきりしない、

現実にはうまくいかないということがあります。

頭でわかっちゃいるけどやめられない、過去のことなのに何度も甦る嫌な出来事、

もう会えないとわかっている人にもう一度気持ちを伝えたい、こんな時は心理療法の出番です。

 

心理療法には、ゲシュタルト療法、再決断療法、神経言語プログラミング、プロセス指向心理学、

フォーカシングなどいろいろな手法がありますが、どの手法も目指すところは同様ではないかと

思います。

クライエントさんの個性やストーリー性を踏まえたうえで、セラピストの指向、力量などが関わってきます。

私の場合は「○○療法でやります」というのではなく、その場に応じた折衷的なもので良いのかなと思っています。

 

ではカウンセリングのどの段階で心理療法を使っていくか・・・。

カウンセリングで解消すべき過去のトラウマ的出来事が見つかったとします。

「さあ、では次回のカウンセリングでこの出来事について心理療法を行いましょう」というのも一つのやり方。

 

もう一つは、カウセリングの自然な流れの中で、いつのまにか心理療法がなされているケース。

例えば、カウンセリングで故人の思い出を語っているうち、伝えきれていなかった想いが湧き上がり、

いつのまにか故人が目の前にいるかのように感謝の言葉、謝りたかったことなど、ほとばしるように表現

される時、それはすでに創造的な心理療法の世界。

クライエントさんの底力に目をみはる瞬間です。

セラピストはいかにどっしりとその場に立ち会えるか、存在性が問われる瞬間です。

 

人は自分で癒えていく力、未来を切り開いていく力をちゃんと持っている。

その思いは深まるばかりです。

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本の紹介「ナバホへの旅 たましいの風景」

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ナバホへの旅 たましいの風景   河合隼雄著

 

心理療法家の河合隼雄さんがアメリカの先住民「ナバホ」の人たちが住んでいる土地を訪ね、

その歴史や生活、シャーマンとの対話について、著者の見解とともに紹介しています。

私が興味を持っていることがたくさん出てきて、とても興味深く読みました。

例えば、心理療法とシャーマニズムとか、西洋医療と伝統的医療の共存、白人と先住民族の文化の違いなど。

 

それにしても、アメリカの中にある「ナバホネーション」については、今回この本を読むまでほとんど

知りませんでした。ナバホという名前を聞いたことがあるくらい。

合衆国政府にも認められていて、相当な独立性を持ち、政府や議会もあるそうです。

 

本によると、ナバホはアラスカあたりからやってきたと言われていて、アメリカの先住民のプエブロやホピと

摩擦を繰り返しながらも共存していた。

ところが、16世紀のスペイン人の侵入に続き、アメリカの白人からのすさまじい圧迫があり、

それでも屈することなく自分たちの文化を守り抜いて今に至っている。

かつて先住民の文化を徹底的に否定しようとしたアメリカ政府も、今ではむしろ先住民の知恵に学ぼうとする

態度に変化してきて、政府のサポートする病院などにおいてアメリカ先住民の伝統的な医療を認めるところも

でてきているとのこと。

こういうところ、アメリカやヨーロッパの一部の国は柔軟ですね。

犯罪捜査に超能力者が協力したり、レイキ療法に保険が適用されるなど、テレビでも目にすることがあります。

 

近代化を成し遂げたようにみえる日本が今、抱えている問題や状況を考えるとき、できるかぎり伝統を

守ろうとしているナバホの人たちの生き方から学ぶべきことは多いと感じます。

日本もまた、白人文化とは質の違う、より大地に根ざした生き方をしてきた民族だと思うのです。

他国の舞台の上で、窮屈な演技を余儀なくされるのでなく、一度その舞台の外に立って

自らをみつめてみることが必要に思えてなりません。

 

国の成り立ち、神話、歴史、宗教観、食べてきたもの、欧米とは異なる文化を脈々とつむいできた日本人が

自分たちのアイデンティティをもう一度知り、これからどう生きていくのか、世界に伝えていけることは・・?

問われていると思います。

 

本来のアイデンティティと異なる生き方を続けていると、人も国もいつか病理をかかえてしまう。

とてもシンプルなことなのだと思うのですが・・・

 

 

2015年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

顔面ストライク

朝、友人とテニスを楽しんできました。

さわやかな秋晴れの中、気持ちのいい時間でした。

 

先週のプレー中のことです。

飛んできたテニスボールをよけきれず、顔面にストライク・・・

(みんな)「大丈夫~??」

(私)「うん、ちょっとかすっただけよ~」

ちょっとジンジンしたけど、そのままプレーを続け、家に帰ってから鏡をみてびっくり。

目じりに濃い紫色の線ができているではないですか。ちょうど太めのアイラインを引いたように・・・・。

 

最初は目じりのみだった紫の線(内出血)は、あっという間に下まぶたに拡がりました。

片目だけ歌舞伎の隈取を施したように迫力のある目元に・・・。

 

こういう時は冷やすんだろうな・・・。

その日一日氷で冷やしたのがよかったのか、翌日の朝はたいして拡がっていない。

念のため、かつて医療現場にいた友人に電話して手当てを聞いてみました。

 

「ああ、内出血ね。明日くらいからお風呂で温かいタオルを当てるといいよ。あっためると

速く吸収されるから。でもこれからほっぺたの方まで下りてくるからね、ま、一か月くらいは

お岩さんだわ・・アハハハ・・・」

(いつも明るいいい方です(^_^;))

 

そっか~。時間がかかるのね。

夜、ちょっと気がゆるんでワイン少々・・(もう2日めだし・・)

飲んだ後、鏡をみてびっくり。内出血の色が濃くなってる。

まだ出血が拡がる段階だったみたいです。

 

そして今日で一週間。

時々自撮りして経過観察。

まだ歌舞伎の隈取風には変わりないですが、刻々と色も濃さも変化を続けていて、回復に向かっています。

身体のの修復能力にちょっと感動してます。

 

がんばれ、がんばれ、細胞!!

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宇宙の物質の起源

ノーベル医学生理学賞に続いて、ノーベル物理学賞と日本人の受賞が続いています。

明るいニュースですね!

今朝の新聞に物理学賞受賞の梶田さんの寄稿が載っていました。

 

[私たちがみつけた「ニュートリノ振動」とはどのような現象なのか。

もし、これを読んでいるあなたが小学生なら、こう覚えてください] という書き出しで、

しばしば難解になりがちな物理の世界を、できるかぎり簡単に説明してくださってます。

物理が苦手というレベル以前の、情けない理解度の私でも、「ほお~っ、そういうことなんだ・・・」

2回読んで、少し理解できた気がします。

 

従来の考えでは重さがないとされていたニュートリノに、実は重さがあることが証明されたことで、

今後、宇宙の物質の起源をひもとく研究が進んでいくのが楽しみです。

 

宇宙のあらゆる物質、海も、山も、石ころも、猫も、机も、スイカも、そして私も、みんなみんな宇宙の一部。

宇宙エネルギーによって生み出されたもの・・・。

 

そんな私たちの起源や、私という宇宙の中の一つの物質がいったいどんな性質を持っているのかを知ることは、

これから歩む道の大きなヒントになることでしょう。

今世界の中でいろいろなことが起こっていて、人類の岐路ともいえるような状況にもみえます。

私たちの在り方が問われています。

 

そんな中で、ひたすらコツコツと、このような研究を積み上げている方がいらっしゃる。

研究が進み、人間という物質が解き明かされていくと、私たちは何を思い、どう変化していくのでしょう。

 

未来に希望が持てるような気がします。

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