虫の知らせ

飼っているアカヒレが、一匹死んでしまいました。

ヒレアカ

おとといの晩に底にうずくまるようにじっとしている一匹をみつけ、気になったのですが、餌を与えると浮き上

がって食べ始めたので、ほっとしていました。

ところが昨日の朝、底に横たわって死んでいました。

 

その日の夜のこと、夫の叔父が亡くなったという知らせがありました。

3か月前、「近くに来たから・・」と我が家に寄ってくださったばかりだったのですが。

今思うと、最後のお別れに来られたのかもしれません。

一緒にいたご家族が、「そろそろ失礼しましょう」と何度も促されるのに、話のつきないご様子でした。

 

アカヒレの死は、虫の知らせだったのかなと思います。

 

虫の知らせ・・。

誰かの死などに関して、知らせを受ける前に何かを感じ取る第六感のようなもの。

多くの人が経験しているようです。

夢、胸騒ぎ、体の不調、生き物などを通じて。

 

私も何度もそういう経験があります。

昨年のこと、父方の叔父が亡くなる夢を見た日の翌日、その叔父は亡くなりました。

母が亡くなったときも、暗示するような夢をみました。

また母方の伯父が亡くなったときは、出かける予定があるのに、突然おなかが痛くなり、ぐずぐずしているところ

に、訃報の電話がはいりました。

他にもいろいろあります。

 

そしてもう一つ思うこと・・・

おととい亡くなった叔父は、死の前に訪れることで、我が家の「負」も一緒に持っていってくださったのかも知れ

ません。

人は亡くなるとき周りの人の「負」を代わりに背負う役目もあるのでは・・という気がするのです。

「死」とは一世一代の大きな仕事です。

 

2016年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

お盆の花火

お盆は実家に帰省しました。

私の恒例、肉体労働の数日間です。

「男やもめに蛆がわく」といいますが、わが男所帯の実家も帰省のたび、すさまじい状態に。

溢れかえった物を仕分け、ごみを出し、掃除機をかけ、雑巾がけをし、布団を干し、限りなく続く汗だくの労働。

その合間には父の話し相手になり、買い出しに出かけ、ご先祖様を迎える準備をし・・・

 

頼まれてやっているわけでもなく、勝手にしていることです。

実家での無心に働くこの時間が、私にとって意味あることを、私の深い意識は知っているのでしょう。

 

そしてその労働も一段落。

15日の夜、庭でひとり花火をしました。

母が生きているころ、まだ娘も小さかったので、家族でよくお盆に庭で花火をしたものでした。

 

久しぶりの花火。

その時、父方の祖父母の家から見える花火大会を楽しんでいた娘から、ラインで打ち上げ花火の画像が・・・

花火1471401936246

娘「花火なう」

私「こちらは線香花火、ひとりでやってる」

娘「おばあちゃんがいるさ」

私「そう、先祖の人たちと宴だっ」

娘「わっしょーいW」

花火の煙のむこうに、先祖の人たちが大勢でたたずんでいるような気がしていたのです。

 

そこに旅行に出ていた兄が帰ってきました。

兄「おー、送り火やな・・・」

さすがはわが兄、「ひとりで何やってんの?」とは言いません。

最後一本残っていた花火に、兄も間に合いました。

 

旅行からの帰り、飛行機の中から、お盆に各地で催されている花火大会がいくつか見えたそうです。

もともと花火には、送り火として先祖の霊を送り出す、という意味合いがあったのだとか・・・。

そう思うと華やかな花火の中に、違う景色がみえます。

 

やまゆり1DSC_0112  屋根より高く・・・

今年も、自生の白いユリがたくましく咲き誇っていました。

2016年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

死者の存在

帰宅したら玄関前に・・・・

DSC_0076

野良猫が フーッ!! 母は強し。

その後「ま、どいてやるか・・」といった顔で、悠々と立ち去りました。

 

さて今年もお盆を迎えますね。

お盆は、ご先祖様が家族の住む家に戻ってきて、一緒に過ごすと伝えられています。

死者と生者が共に過ごせる期間ということなのでしょう。

 

以前の私にとって(20代の頃までかな・・・)死者と生者の間には確固とした境界があるものだと

なんとなく思っていました。

この世とあの世の間には深い隔たりがある、死者はもう手の届かないところに行ってしまうのだと。

 

けれども最近は、昔とは違った考えが出てきました。

人は死によって体は無くなるけれども、魂(こう呼ぶのが相応しいかどうかわかりません)はあり続けるのでは

ないかと。

年齢を重ね、母や叔父叔母など身近な人を亡くす経験をし、それに伴ういろいろな体験があって、死に対する

受け止め方が変わってきたのだと思います。

 

昨年だったか、不思議な体験がありました。

私が実家の父と電話で話していた時のことです。

電話を切った後、そばにいた夫が、狐につままれたような顔で言うのです。

受話器から、亡くなった私の母がはっきり聞こえたと。

「○○ちゃん(私の名)元気にしてる?」

ハンズフリーにしていたわけでもなく、ましてや話している相手は父でしたから男の声ならまだわかるのですが。

私には母の声は聞こえず、ただ父と話していただけです。

 

不思議だけれど、母からのメッセージだと確信しました。

やっぱり母は、亡くなっても私のことをちゃんとみてくれているんだ。

そしてそのことを、家族を通して伝えてくれた。

もう嬉しくて嬉しくて・・・。

 

日常の中で、亡くなった人の力を感じることがあります。

ああ、必要なメッセージを伝えてくれたな・・・

応援してくれているな・・・

また、先祖の方々が、力を結集して助けてくれたのではないかと思うこともあります。

 

私の中では、死者はあちら側の人ではなく、ともに同じこの宇宙ににいる人なのです。

生きていた時よりも、むしろ近くにいてくれる頼れる存在。

時折日常に仕組まれる、彼らの粋な計らいに、「ありがとう!」とつぶやく私です。

 

2016年8月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room