本の紹介「うつくしい人」

ゴールデンウイークは遠出しなかったけれど、この本の中で、私も瀬戸の離島へフワッと旅してきたかな・・

「うつくしい人」  西加奈子著

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一見、都会でうつくしく生きている「百合」。

でも実は自信がなく、心の中に得体のしれない何かを抱えている。

人がどう自分を見ているか気になり、絶えずびくびくしている。

 

逃れるようにやってきた瀬戸の島のホテルでの数日間の滞在。

そこで出会った、これまた何かを抱えた二人の人物との交流。

3人の相互作用によって、三者三様に、それぞれの中で何かがほどけていく感じがとてもよく描かれています。

 

そうなのです。

こういうことって小説の中のことだけではなく、現実でもままあるなと思います。

偶然の出会いから思わぬ展開が生まれること・・。

神様は人と人のの出会いにおいて、粋なキャスティングをするものだなと思います。

 

物語の背景もとてもいい。

瀬戸の穏やかな美しい海、忘れ去られたようなホテルの図書室。

ある日パズルのピースがすべて揃うように、動き出す。

今までさわらなかったところに自ら向き合うチャンスが生まれる。

 

物語の終わり、百合がずっと避けていた、問題を持つ姉との関係に変化の兆しを予感させます。

 

人生はある日、いい風が吹くように、潮が満ちるように動き出すことがある。

この世のシナリオを信頼してドーンとゆだねてみたいものです。

 

2016年5月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

とりあえず寝よう

今日の午前は予定がなかったので、「とりあえず寝よう」とごろんと横に・・。

なぜ朝から・・・?

ちょっと心に雑音を感じていたのです。

 

今日のような日や、何かにまよって結論が出ない時など、とりあえず私は寝てみることがあります。

すると不思議、寝て起きてしばらくすると、ふいにアイデアが浮かぶことがあるのです。

そうだ! こうすればいい・・・

大したことではなくても、私にとっては「夢のお告げ」のように降りてくる感じ。

ついでに身体もすっきり軽くなっています。

 

ぐっすり眠れなくても、とりあえず横になる。

浅い眠りの中で夢をみたり、ウトウトまどろんでいる状態・・・。

こういう時って、人の叡智の湧き出る宝庫なのでは・・・?

きっと潜在意識も含めた、より深く大きな自分になれるのでしょう。

そこから浮かんでくる知恵は一番しっくりくるような気がします。

 

ということで頭であれこれ考えるよりも、とりあえず寝よう。

ちょっとしたマイブームです。

 

 

さて、いよいよゴールデンウイークですね。

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昔、この時期に東北を旅したときの思い出の品。

青森の「山菜取り道具屋」なるお店のおじいさんから頂いた、手作りのミニ草履飾り。

30年間いつも引き出しに入っています。

手に取ると心がほっこり。

弘前城の桜もそろそろ見頃かな・・・

 

 

想いをのせて

今日から熊本空港が一部再開のニュース。

被災後、初の飛行機が降り立つ姿が映し出されました。

 

朝日に輝く機体は自分の使命を知っているかのようです。

物資や人と共に、人々の想いや祈りをその翼にいっぱいのせて。

祈りと希望・・

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スプリングコンサート

第22回 タイホウグループ スプリングコンサートに行ってきました。

(指揮) 小林研一郎さん  (管弦楽) 名古屋フィルハーモニー交響楽団

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タイホウグループさんの地域文化振興への貢献ということで、毎年春に開催されるクラシックコンサート。

応募して当選すれば、無料で招待して頂けるという、なんとも有難いコンサートなのです。

 

今年もよかったなあ。

 

音楽は人と人が深いところで繋がることができる。

200年も前に亡くなった作曲家、その世界を甦らせる演奏家と聴衆、それぞれの人につながる故人とも。

 

私は音楽の素養がないので(残念なことに)、知性で聴くのでなく、身体で聴くタイプ。

意識のレベルを下げて、ふわ~と自分の内の感覚を感じている。

外から入ってくる音に自分の中のリズムが呼応し、イメージが拡がり・・・。

異国の風景、過去の思い出、故人のこと。

懐かしさ、傷み、切なさ、喜び、怒り、自信、瞬間瞬間にそれはもういろんな感情を体験しています。

このことは人にとってきっとすごく大切なことなんですね。

 

演劇や音楽がなくても物理的には生きていける。

けれども人は劇場に足を運びます。

 

さて、私はあまりに意識を下げすぎたのか、休憩時間にバッグを座席に置いたまま悠々とトイレに。

現実も忘れてはいけませんね~。

赤い花満開

アカバナアカバトキワマンサク満開です。

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昨春、植木市で買ってきて、我が家の庭に根を下ろしてもうすぐ1年。

春の姿を見るのは初めて。

鮮やかです。

 

植木屋さんの畑から、知らないところに連れてこられ、心細かったでしょうに・・・。

あ、それは人間の勝手な想いですね、きっと。

 

かの木はただ、たたずんでいるだけ。

自分の姿など気にも留めないで、朝の光を、春の風を、鳥の声を楽しんでいるだけ・・・。

 

でも私は嬉しいなあ。

母の命日

今日は母の命日です。

夕方、実家の父に電話したら、「お、そうだったか、仏壇を拝んで来るわ・・・」

すっかり忘れていたようです(^_^;)

 

とはいえ、父の夢には最近、たびたび母が現れるらしく、電話するたびにその夢の話をしてくれます。

30年前に亡くなった祖父母も一緒に登場することもあるとか・・。

みんな元気そうで若返ったような顔をしているそうです。

「今どこにいるんだ」と聞くと

言葉はなく、「あっち」というように裏山の方を指さすんだとか・・・。

 

父は、「夢に出てくれるだけでもありがたい。元気が出るわ」と言います。

私もまったく同感。

 

母が亡くなって4年たちますが、生前よりも、むしろ今の方がその存在を近く感じていて、毎日の中にいつも

寄り添ってくれているような感覚があります。

あら、これは母のメッセージかしら・・・と感じることもしばしば。

母の存在を感じることは、励みになったり、背中をおされたり、癒されたり。

父も兄も私も、それはもうどれだけ力づけられていることだろうと思います。

 

心理療法家の河合隼雄さんは、著書「しあわせ眼鏡」の中で、「人間が幸福である」と感じるための条件の一つとして

(自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができる。)

ことも重要ではないか、と述べられています。

 

自分を超える存在。

人それぞれ解釈があると思います。

例えば、宇宙、この世の森羅万象、神や仏などなど。

私はその中に「大切な故人」も含まれるのではないかと思っています。

故人につながり、支えられていると感じられることは幸せです。

 

そんなことを思いながら、先程兄にも電話をしてみました。

私:(しんみりと)「今日はお母さんの命日だね・・・」

兄:「えっ、そうだっけ・・・うっかりしとったなー、明日何か供えるわ、いちごがいいかなー」

 

うっかりとお供えを送り損ねた私も含め、なんていい加減な家族でしょう。

母の含み笑いが目に浮かびます。

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名古屋パワースポットめぐり

運動不足を嘆く家人に付き合い、ハイキングに出かけました。

名古屋のハイキングコース12話のなかから、「パワースポット巡りコース」

神社を中心に巡るコースです。

 

金神社・山田天満宮⇒ 晴明神社⇒ 上野天満宮⇒ 城山八幡宮⇒ 高牟神社⇒ 御器所八幡宮

一部地下鉄も使いながら、4~5時間は歩いたでしょうか・・・。

立ち寄った神社は6か所。

 

神社ごとに特有の「気」というようなものを感じます。

面白いもので山田天満宮と上野天満宮、城山八幡宮と御器所八幡宮など、お祭りしている神様が同じところは

似通った性質のものを感じ・・・。

 

神社のの清浄な空気の中にひたり、手を合わせるのはいいものです。

歩きすぎてその日は背中が痛くなりましたが、その後ふと気づきました。

あれ? なんか軽い・・・身体全体がスッキリしたような・・・。

 

そんな時、作家の五木寛之さんの対談の文を目にしました。

<ある企画でお寺の周辺で取材する機会が多いのですが、面白い現象が起こることに気がついた。

寺の境内のある場所に立つと、ものすごくメガネが曇るんですよ。内側から、わーっと何かが噴出してくるように。

最初はどうしてこういうことが起きるのかわからなかったが、ある時、ふと、これが土地の「気」というものでは

ないかと、閃いたのです。心身ともに活性化して、身体のあらゆるところから、毛穴という毛穴から、蒸気がどんどん

あふれ出ていく感じなんですよね。そして、自分自身がリラックスして元気になっていくような感覚を持つんです。

これもひとつの「気」なのでしょうか。>

(学研文庫 「気の発見」より 一部文を省略しています。)

 

この言葉を受けて、気功治療家の望月勇さんは、「そう思う、自分もよくそのようなことがある」とおっしゃています。

 

なるほど、パワースポットの恩恵ってこういうことなのね!

これからも時々「気」のチャージにでかけよう!!と思ったのは言うまでもありません。

 

神社でのもう一つの楽しみ、私のご朱印帳です。

 

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色紙のお雛様

ひな祭りまであと一週間。

1か月ほど前から、「そろそろ出さなければ・・・ま、明日でいいか・・来週でいいか・・・」

と先送りにし続けていたお雛様をやっと飾りました。

 

色紙のお雛様もリビングに飾りました。

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20年前に頂いた手作りのものです。

 

当時、電車で通勤していた私は、駅近くで駐車場を借りていました。

その駐車場の持ち主だったおばあさんに頂いたものです。

一人暮らしだったその方は、いつも好奇心にみち、子供のように純粋でかわいい方でした。

手芸を楽しみ、駐車場の周りは自ら育てた季節の花で溢れ、日々の生活を楽しんでいらっしゃいました。

何故か私のことを気にかけてくださり、会社帰りの私を招き入れてお茶をご馳走してくださったり、一緒にお花を

活けてみたり。

80代のおばあさん仲間のガールズトークにまぎれこんだこともありましたね・・・。

 

私は結婚を機に、駐車場を解約しました。

おばあさんは今度は手作りのお人形を贈ってくださいました。

塩化ビニールでできた、身長15センチほどのお人形にグリーンの華やかな手作りのドレスを着せたものです。

ちゃんと透明のケースに入っていて、おばあさんのちょっと特別な気持ちを感じました。

今思い浮かべても、とても愛らしいお人形。

腰の曲がっていたおばあさんは、乳母車を押して電車とバスを乗り継ぎ、町の手芸店までその手作りキッドを買いに

行ってくださったのだと思います。

 

なのに私はそのお人形を実家に残したままにしてしましました。

その時は、そのレトロで素朴な姿に正直なところ魅力を感じなかったのです。

お人形は長い間実家のテレビ台の上に飾ってありましたが、いつのまにかなくなっていました。

誰かがどこかにしまったのか、それとも捨てられてしまったのか・・・。

 

結婚して間もなく転勤で遠くに引っ越してしまった私は、帰省した時いつかおばあさんに会いに行こうと思いながら

のびのびになってしまい、数年後にやっと訪ねた時は玄関の扉は固く閉じられていました。

もうそこには誰も住んでいない様子でした。

 

そのうちお会いできるだろう・・は叶わなかった。

グリーンのドレスのお人形は連れてくる前にいなくなってしまった。

人生は思っているよりも速くどんどん過ぎてゆく。

 

色紙のお雛様を眺めながら、こころに浮かぶさまざまなこと・・・。

 

本は日々の楽しみ

今、並行して読んでいる3冊の本です。

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読書は習慣になっていますが、かなりきまぐれな読み方。

ある本を読んでいたら、次の読みたい本があらわれ、だいたい3冊くらいを並行して読むことになります。

リビングに一冊、寝室に一冊、仕事部屋に一冊といった具合で、時間のある時のちょこちょこ読み。

とても時間のかかる本もあれば、引き込まれて2~3日で読んでしまう本も。

 

本との出会いは不思議。

書店にならぶおびただしい本の中から、今自分が求めている一冊にけっこう出会うものですね。

まるでその本が「ここにいるよ」とばかりに視界に入ってくるような感じがあります。

 

家の中に読みかけの本がある・・・

そして家事の合間や、寝る前のちょっとした時間に1ページでも2ページでもページをめくる幸せ。

好きな著者なら尚更です。

その世界にワープする一日のうちのわずかな時間。

私にとっては大切なひとときなんだなあと感じています。

 

駅の伝言板

昨日、もよりの駅で見かけた伝言板です。

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赤い文字の応援メッセージ。

2/4 7:30「全力でガンバレ!守東生! 3年生の先生より」

 

今週の3日から5日の今日まで、名古屋市の私立高校の一般入試です。

先を急ぐ受験生の、何人の目に留まったかはわかりませんが、先生の想いがじーんと伝わってきます。

 

ボード下に「6時間過ぎたものは消します」とありますが、1行目の前日のメッセージ、消されていません。

おそらく駅員さんがいつものように消しかけて、ハッと手を止めたのですね。

「こ、これは残しておこう・・・」

それで文のしっぽだけ消えているのかと推測します。

 

まもなく、受験生たちは結果を受け取ることでしょう。

もしかしたら願っていたものと違うかも知れない、

けれどもこの年になって感じます。

現実に起こることの中にこそ、その人の使命や真実が隠されている。

この世にはそんなからくりがあるのではないか。

 

人生にどんな風が吹くのか、どんな波に押し上げられるのか、身をまかせてみようではありませんか。

Everything will  be  fine !