墓地

墓地がきらいではありません。

なんというか、墓地の放つ磁力みたいなものに、ちょっと惹かれるのです。

知らない土地を歩いているとき、車で走っているとき、何か感じるものがあって目をやると、古い塚だったりお墓のようなものがあったり、ということがあります。

私の心象風景の一部に、どうも「墓」というテーマもあるみたいで……

時々お墓にまつわる夢もみる。

今住んでいる土地の昔の姿、それは沼地のほとりに朽ち果てた十字架や長方形の石が並んでいるという夢。

大きな石がゴツゴツと折り重なる土地に降り立つ夢。

土を正方形に掘って横たわろうとする夢。

夢の中ではお墓と認識していないのですが、目が覚めてから、今のはお墓の夢だった…と思う。

そういえば20代の頃、占い師さんに手相とか生年月日をみてもらった時も、「墓と出ました」と言われたなあ。

 

先日、数人で話している時に墓地の話になりました。

その中の一人は若い頃、何か苦しいとき、県外にある先祖のお墓に車を飛ばして行っていたのだそう。(何と真夜中でも……)

そこで、亡き祖父母に気持ちをぶつけつつ、しばらく時間を過ごしていたのだとか。

墓地で癒されていたのかなって今では思ってるそうです。

 

私もいつだったか実家の墓地で、いくつも並んだ古いお墓を眺めているとき、ふいに湧いてきた思い。

「それぞれに大変な人生だったかもしれないけれど、みんな無事に一生を終えて、亡くなったのだ……」

いつか死ぬ、あたりまえのことですが、その時の私は妙に安堵感を覚えたのでした。

先祖とつながる体験でもあったような気がします。

 

星野道夫さんの「森と氷河と鯨」という本に、一人の不思議なアラスカ先住民が紹介されています。

名前は「ボブ・サム」

彼は多くのアラスカ先住民の若者がそうであるように、新しい時代の中で行き場を失い、酒におぼれながらアラスカ中を転々と彷徨っていた。

しかしあるとき、生まれ故郷シトカに帰ってきて、突然町はずれの森の中にある、朽ち果てたロシア人墓地の手入れを始める。

たった一人、黙々と木々や草を取り払う10年という歳月をかけて、見違えるような墓地に変えていった。

そして同時にボブはその時間の中で、いつしか遠い祖先と言葉を交わし始め、次第に癒されていく。

実はその場所は、19世紀初めにロシア人がやってくる以前、ボブの先祖クリンギット族の古い神聖な墓場だったのです。

やがてボブはクリンギット族の古老たちから新しい時代のストーリーテラーに選ばれる。

神話など、クリンギット族が受け継いできた物語を伝承する役目を託されて生きることになるのです。

 

シトカの町でボブは不思議な存在だったみたいです。

決して身ぎれいとは言えず、にこりともしない、時間などの約束も忘れてしまう。

変人扱いされてもおかしくないボブのことを、町の人たちは「ああ、ボブのことか、知ってるよ」と微笑みをもって語る。

通りで遊ぶ子供たちは「こんにちは、ボブ」と呼び掛けてくる。

10年と言う歳月をかけ、たった一人で墓場を掃除することで癒されたボブの存在が、実は町の人々の心を癒してきたのではないか、と著者は語っています。

 

クリンギット族の墓場に座るボブ 「森と氷河と鯨」」から

 

ナルコユリ

ひとつ、ふたつ、みっつ…… 全部で5本のナルコユリ

今か今かと待っていたのですが、今年の春はなかなか芽を出さなかった。

球根がダメになったかなあーとあきらめていたら、ある日薄紅の芽がにょきりと……

ちゃんと生きていました!

しかも5本に増えた!

数年前、園芸店でみかけたナルコユリ、実家の庭にあったので懐かしく、思わず3本買いました。

おじぎをしたかのような立ち姿、小さな白い花はしずくのようで好きだったのです。

 

さて何でもテキトーな私のこと、植える場所を間違えたみたいです。

本来、半日蔭で、湿度の高い環境を好むらしいのですが、何も考えず我が家で一番の乾燥地帯に植えてしまった。

結果、真夏のカンカン照りに長時間さらされ、ヒイヒイあえぎながら、なんとかけなげに夏を越すはめに。

3本のナルコユリはいつしか一本力尽き、て2本になってしまった。

ごめん、こんな過酷な環境のところに植えてしまって。

そのうち、日陰に植え替えてやらねば…と思っていたのです。

 

ところがところが、今年は仲間が増え、5本になって戻ってきたではないですか!

すごい、ナルコユリの底力。

住めば都とばかりに、地中でしたたかに環境適応が進んでいたのですね。

植え替えはやめようと思います。

やがて群落となってたくさんの葉を茂らせ、お互いを強い日差しから守る姿を見たくなりました。

ふふふ…楽しみじゃ(^^♪

 つぼみがついた!(上の写真から二日後)

ネガティブな口癖

先日、ある勉強会に参加したときのこと、参加者のお一人が話されました。

「自分にハンディキャップをかける発言をする人が身近にいて、聞いていて好ましいものではないのです」と……

例えばトレーニング中のその方に「頑張っているね」と声をかけると、

「やってはいるけど、なかなか効果は出ないわ…」と言った具合に、必ずネガティブな発言が返ってくるのだそう。

 

思わず「あるある~」と自分に重ね合わせ、うなずいている私がいました。

ちなみにこの「あるある~」はネガティブなことを言ってしまうのほうへの共感。

私も自分に関して、ちょろっとネガティブなことを言ってしまう傾向があるんですよね。

最近も、バドミントンの再開を知らせるグループラインの返信に、「楽しみです」とセットで、「体動くかなー」と付け加えた。

そういえば昨日も、新しい仕事先の方へのメールに、「若葉マークですが、よろしくお願いします」と綴りました。

他にも「人見知りなので」とか、「みんなの足をひっぱらないように」とかちょろっとネガティブなことを付け加えてしまうことがある。

 

すごくそう思っているわけではないのです。

癖みたいなものかも知れません。

ちょっとしたネガティブ発言の裏には、大目にみてほしいとか、緊張をほぐそうとか、自分を俯瞰して笑っちゃえ、みたいな自分を守ろうとする心理が隠れているような気がします。

 

何気ない言葉も、自分の深いところと結びついているのではないか、気づいて考えてみることは大切かも…と思った次第です。

人によりそれぞれ受け止め方が違うことも、改めて気づかされました。

「聞いていて好ましいものではない」と感じる人へがいることに、思いが至ってなかったなあ……

ネガティブ発言が、いいとか悪いとかいうことではない。

これは簡単に言えることではないと思っています。

心からそう思って事実を伝えたいという場合も多いし、弱音を吐きまくって元気になることいっぱいあります。

 

ただ、自動的に言ってしまうネガティブな口癖には気をつけようっと。

 パパイヤの木、おおらかでいいなあ……

 

Who are you?

Who are you?

とあるお団子屋さんの前で、いきなり聞かれました。

10歳くらいの女の子の二人連れ。(見かけは日本人だけれど、日系人か外国の子でしょうか??)

 

ん?どういうこと?

とっさにとまどう私、名前を聞かれてる?それとも職業とか?

試しに名前を言ってみた「My name is ……」

が、先方いまいちピンときていない反応。

それではと、こちらからも聞いてみた。「Who are you?」

連れの子の方が「I’m  ラビット」

は? 自分を動物に例えろと?? 猫がいいかな、ヘビにしようかしらん……

考えているうちに、先の問いかけてきた子が言ってきた。

「It‘s メイ」

「あ~メイちゃんね。」

とりあえず会話が成立し、ちょっと安心したところで、二人は公園の方に走り去っていきました。

 

このお団子屋さんに来たのは2回目だったのですが、1回目もちょっと面白いことが……

向かいの公園から、突然走り寄ってきた、11~12歳くらいの男の子。

いきなり私の目の前30センチににょっきりと顔を出し「再来週の火曜日は祭日ですか?」だって。

「うーん、スケジュールノート、今持ってないよう」ってあたふたしていたら、一緒にいた娘がスマホでチェック。

再来週の火曜日が祭日とわかった。

「ほら、やっぱりそうだろ」と言いながら、2人の男の子は一瞬で走り去った(後から2人来て最終的に3人連れだった)

一瞬で、30センチの目の前に現れ、一瞬で去る。(これが現代の「陽キャ」といわれる子たちか……)

パーソナルスペースも、見知らぬ人と言う壁をも、ものともしない。

残されたのは逃げ遅れた(?)男の子が一人。

春の日差しのなか、彼と私と娘、3人で曖昧に微笑みあうという、シュールな光景となったのでした。

 

この2回の出来事が面白くて、しばらく一人楽しんでいました。

Who are you? 時々思い出して自分に呟いてみたり…

Who are you? Who are you? Who are you?

「お前はいったい何者か?」

はたと思いました。

これは齢50をとうに過ぎた私への、とても深い問いかけではないかと。

お前はいったいこの人生において何をするものぞ……

私は何者なのだろう。

 

 これは自作のお団子 ぼたもち。

 

Mちゃん

「あの、凍えつくような冬の朝」

私が小5の時、6年生を送る卒業式で言った「呼びかけ」のセリフ。

何故かふと思い出しました。

「呼びかけ」の内容は、卒業生と共に過ごした日々を振り返り、感謝を伝え、新たな門出を祝福する……みたいな感じだったと思います。

私の前のセリフはシロウ君の「あの、焼けつくような、夏の午後」

それを受けて、「あの、凍えつくような冬の朝」と私のセリフに続く。

声の通らない私は、死ぬ気で声を張り上げないといけないし、凍えつくだの、冬だの、なんて発音しにくいんだ、と不満に思ったものです。

 

クラスの優等生、Mちゃんは「卒業生の皆さん、中学生になってもしっかり頑張ってください」と華のある役どころ。

これは群を抜いて上手でしたね。

しっかりは本当にしっかりだったし、頑張ってくださいは、自然に語尾があがり、天に届くような力強さ。

Mちゃんはいつも真剣で、積極的で、何をやっても自分自身を超えるというのか、殻を打ち破るようなところがありました。

私とMちゃんとは気が合い、当時一番の友達でした。

放課後は互いの家を行き来して、たわいのない時間を一緒に笑い転げて過ごしていた。

小5のときだったか、交換日記を始めました。

Mちゃんがおうちの人に買ってもらった、鍵付きのとてもかわいい日記、ワクワクして始めたのに、わずか2往復くらいで、やめてしまいました。

原因は私、前回の自分の書いた内容がどうにも恥ずかしく、続ける意欲をなくしてしまったのです。

いつまでたっても私から回ってこないので、Mちゃんは「またあの日記、続けたいなあと思って…」と本当に控えめに気持ちを伝えてくれたのですが、私は返事をにごし、日記がMちゃんに渡ることはありませんでした。

本棚の隅で、ほこりをかぶりながら、ひっそりと存在を主張する日記は、その後ずっと私の心の小さな負担でした。

今でもちょっと胸が痛い。

 

Mちゃんとは同じ中学校に進んだのですが、同じクラスになることはなかった。

一緒にブラスバンド部にはいったもの、私は途中からさぼってばっかり。

お互いに新しい友達と過ごす時間が増え、だんだんと距離ができました。

高校も同じだったけれど、科が違っていたので、いよいよ接点がなくなっていきました。

 

それでも高1のある日、Mちゃんは自分の教室の窓からひょいと顔を出し、外を歩く私に誕生日プレゼントを渡してくれました。

サンリオの、パティー&ジミーの赤いソーイングセット。

久しぶりにちょっと話した(と思う)

でも私からMちゃんに誕生日プレゼントを返した記憶はないのです。

最後に会ったのは、30歳の時の中学同窓会。

一次会が終わって帰ろうとするMちゃんが声をかけてくれたのですが、二次会に行くつもりの私は「またね~」と軽く返してそれっきりになってしまった。

 

今思うと、疎遠になってからも、Mちゃんはいつも、友達として、私に変わらず心を開いてくれていたのです。

それなのに、私から何となく遠ざかってしまった。

今は少し、その理由の一端が想像できます。

仲が良いながら、私はMちゃんに、劣等感も持ち、わずかにひがんでもいた。

努力と勇気で殻を打ち破っていくMちゃんに対し、そうではない自分の、鬱屈したものが反応していたのではないかと。

 

同窓会の夜一緒に帰っていれば、また仲良くなれていたのかなあ、なんて思います。

後の祭りですが……

30代、40代のMちゃんと話したかった、お互いの日々を語りたかった。

今も話したい。

でも今となっては、どこに住んでいるのかも知らない、結婚後の苗字もわからない。

それでもある日、帰省中にばったり…なんてことがあるかも…?と、ちょっとだけ、夢に見ているのです。

 

今日は思いがけず、「呼びかけ」の記憶からMちゃんの話になりました。

 

雪平なべ

我が家の鍋たち。

気づけば、ほとんど雪平なべになっていました。

他にもう一つ、結婚する時母が買ってくれた、保温調理の鍋があるので、計5つの鍋でことは済んでいます。

 

ここ20数年、ホーロー鍋やら、なんとかコーティングしたなべやら、他の鍋も使ってみましたが(引き出物で頂いたりして…)私にとっては、雪平なべが一番使いやすかったですね。

タフで、軽くて、洗いやすくて、どんな料理にも応用がきく働き者たち。

朝晩使う、サイズの小さい二つは2代目です。

用途が限定された鍋は(パスタ茹で用とか、蒸し物用とか、煮込み用とか)その用途には優れているのでしょうが、色形も様々な多くの鍋を持つことになり、収納も大変。

うちでは、シンク下の一つの扉をあければ、全ての鍋が、仲良く出番を待っている。

この4つの鍋たちで大抵のものは作れます(私の貧しいレパートリーでの話ですよん(;´∀`))

たっぷりのおでん、煮物、味噌汁、リンゴのコンポート、果物のジャム、ポトフ、野菜の茹でもの、プリン、蒸しパン、茶わん蒸し、リゾット、麺類を茹でる、などなど……

蓋も大は小を兼ねる精神で、3サイズくらいは同じ蓋でいけます。

 

料理番組を視ていると、プロの料理人たちも雪平なべをよく使っておられ、「ほう…」と思います。

はやり、昔からの日本のお鍋、長く使われているには理由があるのでしょうね。

機能美にも魅かれます。

 

風流

所要があり、夕刻の3時間ほど京都に立ち寄りました。

ゆっくり観光するほどの時間はなかったのですが、せっかくなので東山界隈をふらっと歩いてみました。

既に閉門している知恩院を左手にみながら、円山公園へ。

人影もほとんどなく、迎えてくれたのは夜の使者。

 くろねこさん

 

円山公園から細い通路を下ると、いつのまにかそこは八坂神社の境内でした。

ひたひたと闇夜が迫る中、おびただしい提灯の灯りがあたりを照らしています。

突如、異世界にワープしたかのよう。

まるでジブリの千と千尋の世界ではないですか……

そう、千尋一家が引っ越しの途中で迷い込む、うすほのかな提灯に浮かび上がる街。

 

 八坂神社 舞殿

境内のいたるところに灯る提灯が、本殿に、朱塗りの鳥居に、小さなお社にいざなう。

柔らかく幻想的でありながら、その奥に底知れぬものを秘めている感じ。

こちらの心も、底知れなさに揺らぎ、「わあ、きれい…」だけではすまないのです。

普段はオフにしている心の奥の灯りさえ、ひそかにともされようとする。

京都という場所は、日常の中にこのような仕掛けが巧みに組み込まれているのでしょうね。

 

昨日、玄侑宗久さんの「日本人の心のかたち」という講話を視聴しました。

その中で、「風流」とは、「心のゆらぎ」だと述べられているのが新鮮でした。

禅において「風流」はとりわけ大事なことであり、病気、災害、歯痛、死、予測不能な出来事に心がゆらぐこと、それは風流でめでたいことなのだと。

想定外の出来事にゆらぎながら、必死で対応する中で新しい自分に出会う、「ゆらぎ」こそ新しい心の発生現場だということです。

なるほど……

 

生きていると予測不能なことばかりです。

個人的な些細なことから、コロナ禍のような世界的な出来事まで、心がゆらぐことばかり。

これも風流なことなのか……

そもそもゆらいでいる世界で生きているのだから、自分も一緒にゆらぐのが自然なのでしょう。

ゆらぎはしなやかさ、強さではないかと思います。

 

観光客が消えた八坂神社の門前町にも、提灯がずらりと並び、ちょっと感動する風流さ。

それは祈りにもみえ、京都の底力を感じました。

新しきもの

新年を迎え、さいふを新調しました。

今年初のお買い物となった新しい財布は、フレッシュな気を放っていて、気分が上がります!

10年以上使った今までの財布、少し前に、この財布も役目を終えたなあ、と感じた瞬間がありましたので、納得のいく買い替えでした。

 

時を同じくしてフライパンや鍋のいくつかも、買い替えました。

取っ手の金属がとれたり、ねじを締めても閉めてもゆるむようになっていたので、これも納得して買い替え。

物を大事に使うほうですが、やはりどんなものにも寿命があります。

新しい行平鍋はピカピカと光って、やはりフレッシュな気を放っています。

 

新しいものっていいなあと思うんです。

まさに今を生きる作り手さんたちの、新鮮な思いやエネルギーまでもが、その品に宿っているような気がする。

伊勢神宮も20年に一度、式年遷宮といって、社殿やその他のものを、すべて新しくしますよね。

新しい木材を山からきりだし、それはそれは多くの方がこの一大イベントに関わり、力を注ぐ。

以前はまだきれいなのにもったいない…と思っていたのですが、今はその様々な意味が理解できるというか、先人の知恵なのだなあと思います。

 

新しいと言えば、うちの娘も新成人となりました。

今年は成人式の開催についても様々な意見がありましたが、名古屋は簡素化しつつも執り行われました。

私は良かったなあと思っています。

なんといっても新成人の放つ輝きはすごい。

毎年、振袖をまとって街をいく新成人と出会うと、その輝きの余波、恩恵を受ける気がする。

 

さて娘のお支度は、簡素に私の振袖一式ですませることにしました。(本人着飾ることにまるで興味がなく、それでいいと……)

でもすべて私のお下がりでは、何か寂しいなという気もした。

ということで前日に思い立ってデパートに走り、娘自身のバッグと髪飾りを新調しました。

時を経た振袖や帯は、新しいものが足されて、息を吹き返したようでした。

 

 

 

鳥たち

三日ほど前から、庭にシジュウカラが来るようになりました。

鳴き声のかわいいこと…

そおっとカーテンの隙間からのぞいてみると、エゴノキの枝から枝へとチョンチョン渡っている。

 

庭に鳥が来るといえば、最近夢をみていました。

実家の庭に、2羽の鷹(鷲かもしれない)が舞い降りた夢。

勇壮な姿で庭の木から木へと渡っていきます。

1羽の鷹は、赤い模様入りの紺色の布団をくわえている。

「あの布団は、昔うちの家で使っていた布団だ」と夢の中の私は思います。

庭を奥に進むと本宅があって(実際の配置とは何故か違うのですが)父が縁側あたりにいる。

「庭に2羽の鷹がきているよ」と私が告げると、

「おお、そうじゃ、1羽は布団をくわえとるだろう」と父が言いました。

なんとも不思議な夢でしたが、2羽も鷹が舞い降りるなんて縁起がいいではないですか。

 

庭のシジュウカラにはミカンのクリスマスプレゼント。

半分に切ったミカンを、枝に刺しておきました。

今年の冬は、例年より小鳥がいっぱいいるような気がします。

そう思うと敏感になるのか、鳥の気配にすぐ気づくのです。

目の端でチラッととらえた影、わずかなさえずりにさっと反応して、カーテンの隙間から、嬉々として覗く私。

ちょっと前は、ムクドリかヒヨドリっぽいちょっと大きめの鳥が、オリーブの実を食べに来ていました。

 

今朝は通勤途中に、かわいいスズメたちをみましたよ。

交通標識の上に、木に、仲良くとまるほほえましい図。

別の街路樹には、メジロがいました。

 

気づけば周りにいる生き物たちに癒されています。

生き物だけではない、樹木や花、風、日差し、森羅万象に見守られ、パワーをもらい、今日も過ごしているのですね。

安心感がひろがります。

 

トラだましい

たまたま同じ題名の本を買いました。

「猫だましい」

本を買ったときの、ワクワク感。

これから浸るであろうその世界への期待感……

子供の頃も、大人になっても、いくつになってもこの気持ち、変わらないですね。

ましてや、「猫だましい」なんて、猫好きとしては持っているだけでも嬉しくなる本!

 

今もリスペクトしてやまない、かつての飼い猫「トラ」

その稀有に優れた存在性に、生物の種を超え、かなわないという想いを抱いていたように思います。

まさに「トラだましい」を秘めていた猫でした。

飼い猫であっても人との距離を頑として保ち、孤高の雰囲気を漂わせていました。

あるとき、外で一人(一匹)遊んでいたまだ子猫のトラを、別のお宅の方が捨て猫と勘違いし、ご自宅に連れ帰ったことがありました。

近所の人が気づき「お宅の猫が、○○さんの家にいたよ」と教えてくださいました。

「トラがいなくなったあー」と半泣きだった小学生の私は、母に連れられトラを迎えにいきました。

そのお宅に行くと、トラは明らかに我が家よりも豪華な餌を与えられていましたが、まったく口をつけなかったそうです。

お腹がすいていただろうに、かたくなに食べようともせず、その家の人に慣れようともせず、ただじっとしていた。

あっぱれじゃ、トラ。

 

野性味あふれるトラは、時々ヘビやスズメを口にくわえて帰ってきました。

お土産のつもりだったのでしょうが、これには困りましたね。

兄がわざと私を叩くふりをしたときは、猛然と兄に飛び掛かっていった。

気に入らなければ、容赦なく飼い主にも牙をむき、引っ掻く。

私もよくやられました。

 

そんなトラも亡くなる半年くらい前から、人肌が恋しいかのようにそばに来るようになりました。

私がごろんと横になると、すかさず走り寄ってきてお腹の上にでんと乗る。

人にむやみに触られるのが嫌いで、一段高い所から(TVの上とか)人間界を見下ろしている猫だったのに、ずいぶん変わってきたなーと思っていた。

それから間もなく交通事故で亡くなりました。

私が初めて車を運転し車道に出たその日に……

そろそろと車を動かす私をどこかでみていて、「これは何事か、白い箱に入ってどこかに行くうちの子を助けなければ…」と思ったのかもしれません。

そして夢中で車道を追いかけてきて事故に遭ったのかもしれない、と考えたりします。

 

ここ1年くらい、ハンドルを握るときは「トラ!」と、一声鳴いて(?)車を発進させるようになりました。

メチャクチャへんな人ですけど、なーんか安心するんですよね。

トラがそばで守ってくれているような気がして……

トラとお別れしてもう33年、「トラだましい」を今も感じている。