前の家

不思議な話、怖い話、大好きです。

とりわけ自然を舞台にしたものとなると、もうスルー出来ない。

私の好きな本「山怪」シリーズに、この夏「山怪弐」が文庫本で出たので、いそいそと買ってきました。

以前にもブログでこのシリーズ、紹介したことがあります→コチラ

 

今回の「山怪弐」には、いわゆる出る家とか霊の通り道になっている家など、家に関する実話も載っていました。

うちの家族が以前住んでいた家ももしかしたら、そういうたぐいの家だったかも知れません。

その家は築40年の洋館で、ひとめ見て何となく惹かれるものがあり、数件の社宅の中から選んで借り受けました。

古いながら、「なんかこの家良いね」と言って、みんなよく遊びに来てくれました。

当時遊びにきていた幼い子で、なぜか一階の廊下を異常に怖がる子がいました。しかも二人も。

二人ともうちの子の、それぞれ違う友達の妹で、お姉ちゃんとママと一緒に遊びに来ることがあったのです。

それまで機嫌よく遊んでいたのに、廊下に出たとたん、おびえて泣き出す。

お部屋よりも暗いからかな?と一瞬私は思ったのですが、その子たちのママ曰く、「この子見える体質みたいで…」

ええーッ えーッ そ、そうなの? ( ゚Д゚)( ゚Д゚)

 

ちなみにこの「幼児、廊下でおびえる事件?」は、別々の機会に起こったことで、二人のママは知り合いではありません。

偶然にしてはあまりに同じようなことが、別々の娘の友達の妹に起こった。

我が家は出る家だったか…

もしくはこの廊下は霊の通り道?

そう思った私は、それ以来廊下の薄暗がりを抜けるとき、「すみませーん、ちょっと通りまーす」と見えないどなたかに向かって声をかけるようになりました。

特に我が家に悪いことも起こらないので、悪いものではないと思いましたし、何よりうちの家族が感じない体質でよかった…(と思ってた)

その家には13年ほど住み、8年前に今の家に引っ越しました。

引っ越し後のある日、家族でミステリー番組を視ていた時のこと、娘がポツリと「前の家で、こんなことあったよ」と話し始めました。

うちの家族は何も見ていない、霊感はないと思っていたのに、娘は不思議な体験を数回していたのです。

彼女曰く、その時は怖すぎて口にも出せなかったのだそう。

 

数年前にその家は倒されて、今は新しい家が建てられ、若いご家族が住んでいらっしゃるようです。

今でも何かあるのか確かめようがありませんが、あの家にいたかもしれない、通り道にしていたかもしれない方々は、どうなってしまったのかちょっと気になるところです。

最近知ったのですが、名古屋の北東に位置するこの土地は、かつて縄文、弥生、中世頃の大きな遺跡が発掘されていて、竪穴住居跡、甕棺墓群、おびただしい土器や石器が出土したそうです。

住所的に前の家ドンピシャのあたりだということもわかりました。

前の家に本当に不思議な現象があったとして、それが古代の方々に関係あるとしたら、恐怖よりもロマンを感じます。

時を超えて、ご縁がありますね、みたいな。

 

 擬態しているつもりかな…バッタくん。

 

気楽に 気ままに…

「気」がつく言葉に、助けられることがあります。

気楽に 気軽に 気ままに 気安く 気さくに などなど。

昨日「気楽にやってみて」とメールをもらって、スーッと楽になりました。

あるセミナーに途中の回から参加することになり、ちょい緊張していた私に、先輩からいただいたメール。

 

時間に追われているとき、新しい物事に臨むとき、その他ささいなことでも、いつの間にか肩に力が入ってしまっていること、あります。

けっこう日常的に…

いつも変わらず、自分のリズムのままにいられたらいいのですけれどね。

 

NHKのBS放送に「駅ピアノ」「空港ピアノ」という番組があって、時々みます。

駅や空港のロビーに置かれた、誰が弾いていい1台のピアノ。

行きずりの人が足をとめ、気の向くままに一曲演奏し、そして何事もなかったように立ち去っていく。

たまたま居合わせた人々が、耳を傾け楽しむ。

あの気軽さ 気ままさ。

 

あんなふうににさりげなく、すべてのことにかかわれるといいなあ。

気楽に 気軽に 気ままに 気安く 気さくに……

楽しくて豊かな人生になりそう。

 

 気ままに実をつけるオリーブ  今年は3つ 昨年は0だったかな…

巣ごもり生活

もともと、出かけることは好きでです。

わざわざどうでもよい用事を作って、出かけることもあったほど。

出かけるために出かける、みたいな…

そんな私が、今回のステイホームではすっかり巣ごもり生活に……

おまけに家族もテレワークやら、リモート授業やらでほぼ家にいる。

 

始めのうちは、勤勉な家政婦のように、家族優先で家事をすすめる毎日。

それぞれの家族の予定に合わせてお昼を準備する、仕事や勉強の邪魔にならないよう掃除機をかけ、その他もろもろの家事をこなす。

そして自分の仕事はセーブする心境になっていた(外出自粛の影響もありましたが)

この生活の変化は、やはりストレスだったみたいです。

それまでは、昼間一人でソファでくつろぎ、好きな本を読み、録画番組をみる、好きな時にテキトーなお昼を食べる。

一人の気ままな時間に、思いのほか癒され、仕事することで力をもらっていたんですね。

 

このままではちょっと辛いかも…と思い始め、ちょっと切り替えました。

希望を素直に言ってみると、あっさり呑んでくれたりして、なーんだ、自分が難しく考えていただけじゃん、ということいくつもありました。

私にとって仕事をすることの大切さにも改めて気づけた。

陸に上がったカッパが、水の中に戻った心境。

 

家族が譲り合いながらも、それぞれが居心地よくいられる、好きなことができること、とても大切。

誰かの我慢の上に成り立っている生活は、家族全体にとって無理があるし、いつか歪みが出てくるもの。

こう考えてると、今の非常事態に限ったことではないですね。

家族みんなが寛容さを発揮して譲り合い、そして主張するところは遠慮せず、話し合いをいとわない。

家族内コミュ力が磨かれるといいなと思います。

 

コロナ禍のもたらしたものは、とてつもなく大きい。

刹那的な外での楽しみや、とりあえず流れていた毎日があたりまえではないことがわかり、みんな自分の内面に向き合わざるを得なくなった。

自分が何者であるか、何が大切なのか、今まで何に目を背けてきたのか…

五感を研ぎ澄まして、自分を、世界を見ていかなければ。

 

おうちランチ  生ハムのフォカッチャサンド

 

癒しの森へ

とてもとてもいいヒーリングアルバムに出会いました。

 癒しの森     作編曲 広橋真紀子さん

静かで何気ないBGMが欲しいとずっと思っていて、ステイホームの今、ネットで探してみました。

少し試聴して、ピンときたので即注文。

とっても良いのです。どの曲も。

神秘の森の奥深くいざなわれます。

体がまるごと優しい大気、光に包まれ、泉にひたひたと潤されるよう。

精霊たちのささやきが聞こえるよう。

海辺で育った海の子の私も、いつか還っていくのは 案外、深い森の神秘な泉のほとりかしらん…と思ったりした。

時々森の夢をみるのです。そこには泉もあって動物もいる。

人はどこかに自分の森を持っているのかも知れませんね。

 

童話にも森が舞台になっているものがたくさんあったなー。

今、手元にある童話集を開いてみたらあるある、いっぱいあるぞ。

白雪姫、ヘンゼルとグレーテル、赤ずきんちゃん、いばら姫、金のがちょう、ヨリンデとヨリンゲル、ラプンツェル…

不思議なことが起る場、現実を超えた世界とつながる場、子供が試練を経て大人になる場、森はそんな舞台として描かれているように思います。

神秘的で、怖さ、厳しさ、温かさ、優しさなど、あらゆる精神性を含み、スピリチュアリティの宝庫……

心理の世界でいう、イニシエーションとか、死と再生のテーマとも重なるのだろうと思います。

童話は大人が読んでも深いものですね。

 

CDと一緒に、広橋真紀子さん自筆のカードが入っていて、これも嬉しかった(ご本人の公式HPから注文した)

知らなかったのですが、5月末に発売されたばかりだったみたいで、なんてタイムリーな出会いだったのでしょう。

なんか嬉しい!

過去の猫たち

トラ、コトラ、ヤマ、ビール

昔、実家で飼っていた懐かしい猫たちの名前です。

ビックリネコ、タヌキネコ、イチ、ヘン、オオコネコ、チャップリン、シロ

これらは飼ってはいないけれど、勝手に住み着いていた猫たちの呼び名。

家族の誰かが適当に呼び始め、いつのまにか共通の呼び名となっていった。

実家は、昔も今も猫が集まる家です。

  道端ですり寄ってきた野良猫

村上春樹さんの「猫を棄てる」という新刊を読みました。

副題には「父親について語るとき」とあり、お父様について文章にされたものですが、一個人一家族の話でありながら(むしろ、そうだからこそ)強く語りかけてくるものがある。

この話には二つの、猫にまつわる思い出が、冒頭と最後に出てきます。

これら猫エピソードは、幼い頃の著者と父との思い出をみずみずしく伝え、その体験から学んだことは心の中に、ある種をまき、それは著者のメンタリティーの一部となっていったことがわかります。

一つめの話、小学生だった著者が父と自転車に乗って、海辺に一匹の大きな雌猫を棄てに行くが、家に戻るとさっき棄てたはずの猫が「にゃあ」と出迎えたこと、その時の父の表情。

もう一つは、やはり子供の頃、飼っていた小さな白い子猫が、意気揚々と庭の高い松の木に上り、降りられなくなった話。

一部始終をみていた著者は、父に事情を説明して何とか助けてもらおうとしたが、父にもなすすべがなかった。助けを求めるような情けない鳴き声は翌日には聞こえなくなり、その子ネコがどうなったのかわからない。

 

この二つのエピソードは、私の猫に関する思い出とどこか重なるところがあり、ものすごく身近に感じられました。

それは、猫が間に介在した私と家族との体験でもある。

例えば小学生の時、兄とトラを拾った朝のこと、許しが出るまでしばらく二人で納屋に隠し飼っていた、あの夏の日々。

あまりにいたずらが過ぎるコトラ(トラの子)を兄と棄てに行かされたこと、次の日に飼う許しを得て迎えに行ったがいない、あきらめて帰ろうとしたとき、がけの穴の中から「にゃお」とコトラがそれは大きな声で鳴いたこと。

父と漁師町の海岸へ迷いネコを棄てに行ったこと(ここなら魚ももらえて幸せだろうと話し、互いに罪悪感をうすめた)

リボンをつけて家にきた子猫のビール、数日後突然いなくなった。あまりにやんちゃだったので、誤って畑の井戸に落ちたのかも知れないとみんなで話した。

普段は考えることもないけれど、どの猫のことも心の片隅にしっかりと刻まれている。同時にその時の家族の声や表情も、リアルによみがえります。

家族って、一匹の飼い猫に関する共有の出来事一つからでも、それぞれの深い体験をしているのですね。

 

「猫を棄てる」引き込まれて一気に読みました(1~2時間で読めてしまう ノスタルジックな挿絵もすごくいい)

猫の話は象徴的なエピソードとして、また暗喩的な役割をしているけれど、その奥にある個人的物語の底知れなさこそが深く読みたいところだと思います。

戦争などを含む時代の背景が、人の生き方や精神をどれほど深く大きく変えてしまうか、内面に宿ったものが次の世代に否応なく持ち運ばれていく事実。

個人的な物語は同時に、世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもあること。

著者あとがきの一文に「でも僕としてはそれをいわゆる(メッセージ)として書きたくはなかった。歴史の片隅にある一つの名もなき物語として、できるだけそのままの形で提示したかっただけだ。そしてかつて僕のそばにいた何匹かの猫たちが、その物語の流れを裏側からそっと支えてくれた」とあります。

 

何匹かの猫たちが、物語の流れを裏側からそっと支えてくれた……

なんだかすごくわかる気がする。

私もきっと、過去の猫たちにそっと支えてもらっている。

  この日は10匹以上の野良猫と出会った

春のトンボ

ある朝、玄関前の床にトンボがいました。

この時期に珍しい…

逃げもしないでじっとしている。

よくみると、1枚の羽根の先が傷ついて、飛べないようです。

トンボにとっては致命傷。天敵から逃げることも、餌の虫をとらえることもできない。

 

助けたいけれど、どうすることもできないです。

せめて水をあげたいと思い、木の葉を水でぬらしてそばにおいてみました。

しばらくして見に出ると、2~3歩前進して葉っぱにつかまっていました。

夜はまだ随分冷え込みます。

コンクリートの床は冷えるだろうと、カーネーションを植えた鉢にそっと移動させました。

日に2~3回、水でぬらした草や葉をそばにおいてやり、時々そばで過ごすことしかできなかった。

 

三日目の夕方、死んだなと思った。

そっと触れても、動くことはなく、目から光が消えていました。

よく頑張ったね…

 

翌日の朝、庭に埋めました。

これから次々と花を咲かせるスイートピーの根元がいい。

次に生まれてきたら、大空をぐんぐん飛ぶのだぞ。

 

思えば不思議です。

飛べない羽で、どうやって我が家の玄関までたどり着いたのか。

ヤゴからふ化する時に失敗して、羽が傷ついたのかも知れない。

でもうちのすぐ近くには、ヤゴが生息するような水辺もない。

 

それまでの短い生について、トンボは教えてくれなかったけれど、最後に来てくれたのがうちだった。

ちょっと嬉しかったよ。

春のトンボが確かに生きたこと、私は忘れない。

 

 うちの庭には、生き物がいっぱい埋まっている

 

 

 

従姉の散歩

先日の夜、久しぶりの従姉に電話したら、「今からお散歩、ちょうど外に出たとこよ」とのこと。

道路わきを歩いているのか、バックで車の騒音が響いていました。

 

従姉が口にした「散歩」という言葉が、懐かしくちょっと嬉しくなりました。

そう、この従姉との思い出は、私にとって「散歩」とセット。

 

子供の頃の夏、母方の従姉妹たちは、都会を離れ、広島の山間部で一人暮らす祖母の家に避暑に集まるのが恒例でした。

(私の場合は海の田舎から山の田舎への移動でしたが)

そんな夏の昼下がり、「散歩行かへん?」とよく誘ってくれたのはこの従姉です。

他のいとこもいる中、自分がこの年長の従姉に誘ってもらえることが、誇らしく少し大人になったような気持ちだったことを覚えています。

たわいのない話をしながら、山道を歩き、川のほとりを歩き、風が運んでくる牛舎の匂いを嗅ぎながら神社で一休み、そんな時間でした。

 

姉妹のいない私にとって、年上の彼女からこぼれるあれこれは、あこがれ。

都会生活の香り、垢ぬけた持ち物、洋服。

読書の楽しみを広げてくれたのもこの従姉。

小学生の時紹介してくれた本、「歌うこうもり傘「」はとびっきり面白かった。

高校の頃だったか、自分がちょうど読み終えた文庫本をひょいとくれたこともありました。

石川辰三の「青春の蹉跌」

遠藤周作の「彼の生き方」もいつか薦めてくれた本、そのエンディングの感動は、今でも心に残っています。

 

お互いに社会人になり、いつしか疎遠になっていたけれど、またあの頃のように、散歩しながら話したいなあ。

 

まずは私も近所を歩いてみよう。

そうだ、娘も誘って…

「ねえねえ、お散歩行かない?」

「行かない」

即答でしたね、あはは…

では一人でお散歩、行ってきまーす!

 

 今年もにょっきり姿を現したナルコユリ

 

 今は公園も閑散としていた

 

 

 

思いもよらない

思いもよらないことが起って、思いもよらない影響を受けている。

日に日にその深刻さは増している。

今、多くの人がが共通して感じていることではないでしょうか。

 

新型コロナによる影響、誰一人として、蚊帳の外の人はいない。

私も仕事のこと、家族のこと、多くの影響を受けています。

仕事関係の会議などは延期やメール形式に変更、この春から大学生の娘は、対面授業の延期と寮の閉鎖により10日で家にとんぼ返り。

主人の母は1週間前外科手術を受けましたが、面会禁止で見舞うことはできず、同様に介護施設にいる実家の父にも会うことがかないません。

 

みんながそれぞれの事情を抱えて生活している。

先月あたりから何となく人々が焦っている感じや、寛容性がなくなっている傾向を感じます。

買い物に出れば、店員さんやお客さんのとげとげした物言い、せかすような態度にたびたび出合う。

一人一人の中に、不安や心配、焦り、無力感、様々なことが起きているのだと思います。

想いを馳せるくらいのことしかできない。

 

そんな中でも、ほっとするような笑顔の方、寛容さ、優しさを感じさせる方も多くいらっしゃる。

 

さてマスク不足、深刻です。

友人の「マスクがなくなった」とのつぶやきをきっかけに、マスク作ってみました。

少しずつでも作って、使ってくださる方にプレゼントしたいと思います。

材料を買いに走った手芸店にも、いつもと違う光景が…

店内はマスク材料を求める人であふれ、生地のカットコーナーは行列、ゴムを求める人の行列も店の外まで続いている。

店員さんがひっきりなしに「間をあけて並んでください」と声をかけ、「白のダブルガーゼ完売しました」の店内放送。

いつもは行列を見ただけであきらめる私ですが、今回は並びました。

リスキーな集団を作っている一人であることを、自覚しながら…

 

こんな人間界の右往左往とはうらはらに、外ではいつものように鳥がさえずり、サクラは咲いて散ってゆく。

どこまでも広がる青空をみあげ、新芽の香りを嗅ぎながら、思わず深呼吸しました。

自分のリズムは、変わらずここにある。

 

祈る

明け方、夢うつつの中で、ある言葉や考えが浮かぶことがあります。

今朝「祈る」という言葉がおりてきました。

おそらく介護施設にいる父のこと、間もなく親元を離れる娘のことなどが気になっているのでしょう。

 

岡山の介護施設にいる父には、新型コロナの影響による施設の判断で、今は家族も会うことがかないません。

2月半ばまでは、毎週兄が面会に行き、私も時々帰省して見舞っていました。

父が元気を持続するためには、家族ができるだけ会いに行くのが大切、と思ってやっていたのです。

今は、洗濯物を取りに行くのみで、父の顔を見ることはできません。

認知症のある父が、会えない間に元気がなくなり、症状も進むのではないかと心配です。

 

そんな折、昨日兄が洗濯物を取りに行くと、職員さんの計らいによって、電話で父の声を聞かせてもらえたとのこと。

「元気そうな声で、僕の名前を呼んだわ。嬉しかったから報告しとくな。」と兄。

ふう、良かった…元気でいてくれた、兄のこともちゃんとわかったんだ。

家族に会えなくても、職員さんや他の入所さんとのかかわりの中で、元気を保っていてくれた。

ありがたく、少し安堵しました。

 

自分にできることはする、でもそれ以上のことは、現実を超えたものにゆだねるしかない。

人が生きていくことは、本人の力はもちろん、目に見えないコーディネーターの力が働いているのではないか…

目に見えているもの、自分でコントロールできることは、全体の一部分にすぎないのでは…

現実を超えたものに畏敬の念を持ち、信頼することも、とても大切なのではないかと思います。

 

現実を超えたものにゆだねること、それは言葉にするなら「祈り」のようなものではないかという気がします。

合格しますように…とか、宝くじが当たりますように…などと祈ることとは違う種類の「祈り」

 

「私にできることは、祈ることしかないの」

いつだったか伯母が言いました。

伯母はその当時、子供のことで悩み、けれど自分にできることはないと悟っていました。

あの時の伯母が言った「祈る」もそういうことではなかったかと、今思います。

 

 新型コロナの影響がここにも…

私が行った翌日、会期途中で突然中止になりました。

 

 

記憶

最近、同年代の友人と、お互いの記憶力低下自慢(?)になることがあります。

勉強してもちっとも頭に入らない、人の名前が出て来ない、買いたいものを忘れる、メモすればその紙を忘れる…

嘆きと共感の嵐。

 

ところがそんな私たちでも、いきいきと語る過去の記憶があります。まるで今、目の前で起こっているかのように…

私も人生、はや2万日近くを生きているわけですが、日々のほとんどの体験がどんどん記憶の彼方にほうむられていく中、なぜか忘れずにいるものがあります。

 

ま、これは忘れられないよなー、と納得できるものも多いです。

すごく悲しかったとか、悔しかったとか、すごく嬉しかったとか、面白かったとか、はずかしかった、とか。

でも中には、なんでこんなことを覚えているんだ?と自分でも笑ってしまうような些細なことも…

むしろそんなことをいっぱいいっぱい覚えてる。

何気ない日常の一コマ。

縁側での祖母とのたわいない会話、保育園の友達が持っていた絵付きのチリ紙、うんていをする同級生の一瞬のどや顔、ミシンの訪問販売員と母との会話、参観日に先生が着ていたセーターの色…

忘れたとしても人生に何の差支えもないことばかり。

そういえば、中学一年生の時のクラスの女子の名前、出席番号順に全部言える。

「あ」で始まる安保さんから最後の「ま」の松田さんまでの17名をフルネームですべて。漢字も書けるぞ。

なんで今更何の役にも立たないことを、覚えているのか…

面白いです。

 

ところで、私の一番最初の記憶は、多分2歳ごろのあのシーン。

朝押し入れの前で、母に赤いスモックを着せてもらっている。まだ布団の中にいる父が、その様子を見て「もう少しいい服を着せてやれよ」と母に言ったこと。

私の3歳上の兄は、私が生まれた日のことを覚えているそうです。

私が生まれるまで産科医院の前の川で遊んでいたこと、生まれたばかりの妹を初めて見たとき「気持ち悪いヤツや」と思ったこと(なんですとおー!!(-_-メ))

 

記憶って不思議だなあと思います。

日々の膨大な情報の中から、あるシーンを心にとどめ、持ち続ける。

そこにはその人だけの取捨選択、そして心にとどまったものは、その後の人生にきっと参加しているのでしょう。

 

記憶の断片、人生の様々なシーンは、色とりどりの金平糖が散らばっているよう。

その一粒一粒があふれるように、今があるのかな。